「カ・・・カカシ先生・・・?」

「あー、やっぱりサクラだ。おはよ」

「お、お早うございます」

「どうしたの、こんな朝早く?」



呑気そうに片手を上げて、テクテクと先生が近付いてきた。



「えっと・・・、ちょっとした朝の散歩、かな・・・?」

「ふーん。随分ハードな散歩なんだなあ」

「べ、別にいいじゃない。先生こそどうしたのよ、こんなに朝早く」

「オレか?・・・オレもまあ、ちょっとした朝の散歩ってとこかな」



静かに視線を泳がせるカカシ先生。

その先にあるものは・・・

ああ、先生の大切な仲間達が静かに眠っているところだ・・・。





薄っすらと朝靄が立ち込める中に、先生は静かに立っていた。

それは何か一枚の絵画を見せられているような、不思議な気持ちにさせられる光景だった。

ふと・・・。

目の前に立っているカカシ先生が、夢の中のカカシ先生と重なり合った。



優しい瞳と、甘い言葉と。

容赦ない憎悪と、氷のような拒絶。

そして、苛むような濁った視線・・・。



グラリ・・・と視界が暗転しそうになった。

奥歯を食い縛り、拳に力を込めて、何とか必死に持ちこたえた。



「・・・どうした?」



びっくりしたカカシ先生が目を見開いている。

ああ・・・。

またゆらゆらと心が勝手に揺らめき出す・・・。

甘く痺れるような幸福感と、この世の終焉のような絶望感。

私はどちらも知っている。

たとえ夢の中での疑似体験でも、私はこの人に恋をしていた。

相反する二つの想いが私を翻弄し、これでもかと強かに打ちのめしてくる。

突き上げてやまない激情に、思わず涙が零れそうになる。

もうあんな思いはしたくない。もう誰も失いたくはない。

誰よりも、目の前に立つこの人を、もう二度と失いたくなどない・・・。



「大丈夫か?」



私の顔色に驚いたカカシ先生が、心配そうに顔を近付けてきた。



「なんでもない・・・」

「・・・そうか」



必死に冷静さを装って首を振った。

本当ならここで「それじゃ・・・」と別れるべきなんだろう。

この後先生が訪れる悔恨の場に、部外者の私が立ち会いを許される筈などない。



でも。

どうしても離れがたかった。

夢の中での喪失感を何とか埋め合わせしたくて、もう少しだけでもカカシ先生の傍にいたかった。



「もうちょっとだけ・・・、先生と話しててもいい?」

「・・・いいけど?」



何か物言いたげに、小首を傾げているカカシ先生。

ああ、どうしてなんだろう・・・。

私、本当に変だ。

カカシ先生を見てるだけで、こんなにも胸が締め付けられる。

これって、まるで・・・。私、カカシ先生の事を・・・。




「少し、歩くか?」

「うん・・・」




小さく頷き、カカシ先生の半歩後ろをついて歩いた。





「・・・何かあったの?」

「あったような・・・なかったような・・・」

「なんだそれ」

「へへっ・・・、ちょっとね・・・」

「ふーん・・・」




生まれたての朝の光が、先生の髪をキラキラと染め上げている。

フワフワと緩やかに動く柔らかそうな毛先。

その手触りを知っているのは、一体誰なんだろう。

手を伸ばせばすぐにでも届きそうなのに・・・。

今もしこの腕を絡ませたら、あの夢の中の先生ように優しく微笑んでくれるのだろうか・・・。




「・・・ねえ、カカシ先生」

「なんだ?」

「先生はどうして・・・、大切な人を置いてきちゃったの?」

「え・・・、またその話?」

「ごめんなさい・・・。でも、どうしても気になっちゃって」

「まあいいけど・・・。んー、そうだなあ・・・。強いて言えば、いろんな災いからその人を守るため、かな」

「守る・・・ため」

「そ。オレが傍にいるとね、いろいろ大変な事が起きそうだったの。だから離れた」

「へえ・・・。そうなんだ・・・」

「そういう事」

「でも、カカシ先生くらい強かったら、傍にいながらその人を守る事だって出来たんじゃないの?」

「・・・傍を離れる事で、絶対に起きないって分かってたら?」

「え?」

「遠くに離れていれば絶対に安全だって分かってたらさ、そうするしかないでしょ」





静かに微笑んだ横顔が、淋しそうに揺れている。

そんなにまで大切な人だったんだ。

先生にそこまで想われてる人って、一体どんな人だったんだろう・・・。



チクチクと心の奥が痛み出す。



やだ・・・。私、その人に嫉妬している・・・。

顔も名前も知らないその人に勝手に嫉妬して、勝手に泣きそうになっている・・・。

何やってんだろう、私・・・。





「なんか不満そうな顔だねー」

「だって・・・、私だったら嫌だな、そんなの」

「そう?」

「遠く離れて守られるより、いつもすぐ傍で守ってほしいもん」

「うーん・・・、傍にいると物凄い茨の道なんだよ。わざわざ歩かなくてもいいような」

「別に構わないわよ。そんなの」

「あのね。サクラが考えているよりも、ずーっとずーっと厳しい道なの。そんな道、歩かせらんないでしょーが」

「でも、ひょっとしたら茨の道は一本じゃないかもしれないじゃない?」

「ん?」

「先生の知らない茨の道がまだまだあるかもしれないって事。もしかしたら、絶対安全だって思った道にも茨が潜んでいるかもしれないし」

「んー、そりゃそうだが・・・」

「それに・・・、茨の道なんてその人の捉え方次第じゃないのかなぁ」

「?」

「先生には凄まじい茨に見えたとしても、他の人には大した事なく見えたり、そのまた逆だったり・・・」

「ああ、なるほどね」

「うん。だからね、私だったら遠く離れて守られるよりも、いつも近くで守っていてほしい。その代わり、私もその人の事をたくさん守ってあげるんだ」

「へー・・・」

「えっと、例えばさ。カカシ先生はいつも私の事守ってくれるでしょう?だから、私も同じくらいに先生の事いろいろ守ってあげたいなーって・・・」

「・・・くくっ・・・」

「・・・どうしたの?」

「いや、サクラがねー・・・」

「なに?なんか変?」

「オレとサクラじゃさー、オレが守ってばかりじゃない?どう見ても」

「そ、そうだけど・・・!今は確かにそうだけど、でも私だっていずれ綱手様を超えるような凄ぉーい医忍になってるかもしれないでしょ!?」

「うんうん、そうだねー」

「あー、もう馬鹿にしてるー!」

「してないよ。そりゃ楽しみだなーって期待してんの」

「嘘ばっかり!絶対あり得ないって顔してるじゃない!」

「ははは、してないしてない」

「もう・・・、見てなさいよ。物凄い医忍のスペシャリストになって、絶対カカシ先生の事見返してやるんだから!」

「うんうん」

「もうね、先生のド派手な怪我だってなんだって、一発で治せるくらい偉くなってやるんだからね!」

「うんうん。サクラならなれるよ」



くるっと向き直り、ポンポンと頭の天辺を優しく撫でられた。



「サクラなら絶対なれる。オレが保証するから」



目を細めてにっこりと先生が笑っている。

あ、この顔・・・。

それは、夢の中で優しく微笑みかけてくれたカカシ先生と寸分違わぬ同じ顔だった。



かぁぁ・・・と顔が赤らんだ。

夢の中のドキドキ感が一気に蘇る。

まずい、どうしよう・・・。

絶対カカシ先生に変だと思われてる。

でも、誤魔化しようがないくらい、私真っ赤になっちゃってる・・・。



「あ、ありがとう・・・」



くるっと後ろを向くのが精一杯だった。

先生、不意打ちなんてずるいよ・・・。




「早いとこ一人前になってくれよ。オレが生きてるうちにさ」

「な、何言ってんの・・・!縁起でもない事言わないでよ!」

「あー、悪い悪い」

「・・・もう、誰かが目の前からいなくなっちゃうなんて、ホントごめんだわ・・・」

「スマン、悪かった」

「絶対に・・・」

「ん?」

「絶対にずっと私の傍にいて、私の事守っててよね。カカシ先生」

「・・・ははっ、了ー解」

「離れて守るなんて許さないんだからね」

「ハイハイ、よーく分かりましたよー」

「よろしい。じゃ私もずっと先生の傍にいて、先生の事守ってあげるわ」

「一緒に茨の道を歩いてくれるのか。ありがたいねー・・・。まあ確かにサクラだったら、茨の方から尻尾巻いて逃げ出すかもな」

「・・・どーゆー意味よ、それ?」

「いや、素直に褒めてんですけど」

「・・・・・・」

「どうした?」

「ぜーんぜん、褒め言葉になってない」

「あれー、おかしいなあー?」






どこまで本気なのかさっぱり分からない、ずっと惚けたままのカカシ先生と、その脇で真っ赤になりながら不貞腐れている私。

つい勢いでおかしな事を口走ってしまったけれど、カカシ先生には一体どんな風に聞こえたんだろう。

・・・多分、深い意味なんて何にも感じていないんだろうな。

だって、私とカカシ先生とじゃあまりにも・・・。



ホッとする反面、残念に思う。



でも、思いがけないこの一時のお陰で、モヤモヤと行き詰まった私の心は、物の見事に綺麗さっぱりと晴れ渡っていた。